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幼稚園のはじまりフレーベルの「子どもの庭」

1840年、ドイツ・テューリンゲン地方の小さな町で、教育者フレーベルが名づけた「キンダーガルテン(子どもの庭)」。遊びの道具「恩物」や子どもごとの庭の畑、アメリカや日本へ伝わったころの幼稚園の1日を紹介します。

ドイツ・テューリンゲン州バート・ブランケンブルク1840年〜遊びと学び今も続いている

概要

幼稚園は、英語でもドイツ語のまま kindergarten と呼ばれます。ドイツ語の「キンダーガルテン」は、「子ども(Kinder)の庭(Garten)」という意味です。この言葉は、英語をはじめ多くの言語に取り入れられました。

名づけたのは、ドイツの教育者フリードリヒ・フレーベル(1782〜1852年)です。1840年、テューリンゲン地方の小さな町バート・ブランケンブルクで、小さな子どものための施設をこう名づけました。日本の幼稚園も、はじまりはフレーベルの幼稚園を手本にしています。

歴史

遊びと作業の施設から

フレーベルは1782年、テューリンゲン地方のオーバーヴァイスバッハに生まれました。スイスの教育者ペスタロッチのもとを訪ねて学び、1816年から学校を開いて子どもを教えます。1826年には、主著『人間の教育』を出しました。

1837年ごろ、フレーベルはブランケンブルクで、小さな子どもの遊びと作業のための施設を始めます。遊びの道具「恩物」を考えたのも、このころとされます。1840年、この施設に「一般ドイツ幼稚園」という名をつけました。フレーベルは、子どもの世話をする女性の育成にも力を入れました。1844年には、母親に向けて、歌と指遊びと絵を集めた本『母の歌と愛撫の歌』を出しています。

禁止と広がり

1851年8月、プロイセンの政府は幼稚園を禁じました。ドイツのほかの国々もこれに続きます。理由ははっきりとは示されず、フレーベル自身は誤解によるものだと考えていました。禁止が解かれたのは1860年で、フレーベルが1852年に亡くなったあとのことです。

それでも、教え子たちが各地で幼稚園を開きました。1845年には、ゴータに幼稚園ができています。アメリカでは1856年、ドイツでフレーベルの講義を聞いたマルガレーテ・シュルツが、ウィスコンシン州ウォータータウンの自宅で、ドイツ語の幼稚園を始めました。

日本では1875年12月、京都に「幼稚遊嬉場」が開かれましたが、1年半ほどで閉じました。1876年11月16日には、東京女子師範学校附属幼稚園(今のお茶の水女子大学附属幼稚園)が開園します。文部省は、これによって日本の幼稚園が始まったとしています。手本はフレーベルの幼稚園で、首席保母はドイツ出身の松野クララでした。

学びの風景

恩物で遊ぶ

フレーベルは、子どもに手渡す遊びの道具を順番に考えました。ドイツ語では「Gabe(贈りもの)」と呼ばれ、日本では「恩物」と訳されました。

1番目の恩物は玉です。2番目は球・円柱・立方体の3つで、積み重ねた塔の形は、フレーベルの教育を表す印として知られるようになりました。3番目は、8つの小さな立方体に分かれる大きな立方体です。ほかに、27個の積み木で立方体になる箱、色のついた板や棒、輪などがあり、紙を折る遊びも行われました。

子どもの庭

ブランケンブルクでは、家の前の細長い土地が、幼稚園の大切な一部になりました。フレーベル自身が描いた図が残っています。中央は1人に1つずつ、約1m四方の区画に分けられ、子どもは自分の区画に好きなものを植えました。まわりの畑は、みんなで世話をしたといいます。

日本の最初の幼稚園の1日

1877年の東京女子師範学校附属幼稚園の決まりでは、通うのは満3歳から満6歳までの男女で、年齢で3つの組に分けられました。保育は1日4時間です。夏は朝8時から正午まで、それ以外の時期は朝9時から午後2時まで園にいました。

学ぶ内容には25の項目が並びます。「五彩球ノ遊ヒ」(5色の玉の遊び)、「三形物ノ理解」(球・円柱・立方体)、積み木、紙を切る・折る・織る、針で穴をあけて描く絵、粘土細工、数え方、唱歌、お話、体操、遊戯などです。園児の多くは、身分の高い家の子どもでした。

今の暮らしの中で

テューリンゲン州には、フレーベルにゆかりの博物館があります。バート・ブランケンブルクの博物館は、「地下室の上の家」と呼ばれる建物にあり、ここで幼稚園が生まれたと紹介しています。生まれた町オーバーヴァイスバッハにも、生家を使った博物館があります。

2025年には、エアフルト大学で国際フレーベル学会の大会が開かれ、恩物などを並べた展示も行われました。ウォータータウンのアメリカで最初の幼稚園の建物は、1956年に取り壊しを逃れて移され、今は季節を限って公開される博物館になっています。

よくある誤解・豆知識

最初の名前は「幼稚園」ではありませんでした。 1840年に名づけるまでは、遊びと作業のための施設と呼ばれていました。

東京より前に、京都にも幼稚園がありました。 京都の幼稚遊嬉場は、東京の幼稚園より1年ほど早く、ドイツのフレーベル流の幼稚園を手本に開かれました。ただ、長くは続きませんでした。

アメリカで最初の幼稚園は、子ども5人から始まりました。 シュルツは、自分の幼い娘と、そのいとこ4人に教えることから始めました。通いたい子が増えたため、小さな建物に移ったといいます。

参考文献

最終更新:2026-10-17

このページは、世界の子どもの学びの習わしを、歴史と文化として紹介するものです。教育の方法の良し悪しを比べたり、すすめたりするものではありません。

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